千葉ジェッツの歴史 – 創設から強豪への軌跡

はじめに

千葉ジェッツふなばし(以下、千葉ジェッツ)は、千葉県を代表するプロバスケットボールチームとして、その躍動感あふれるプレースタイルと、地域に根差した活動で多くのファンに愛されています。

本記事では、そんな千葉ジェッツがどのようにして誕生し、数々の困難を乗り越え、強豪チームとしての地位を確立してきたのか、その歴史を創設期から現在に至るまでを詳細に紐解き、その成長と成功の軌跡を辿ります。

創設期 – 千葉ジェッツの誕生

千葉ジェッツは、2010年に千葉県初のプロバスケットボールチームとして産声を上げ、創設者は梶原健氏、そして初代の代表は島田慎二氏が務めました 。

プロリーグ参入への動きは、2010年3月1日に始まり、梶原健氏をはじめとする有志が集まり、千葉プロバスケットボールチーム準備委員会が設立され、同年3月31日には、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)への正式な参入申請が行われました 。

リーグによる厳正な審査を経て、同年8月26日、千葉ジェッツは2011-12シーズンからのbjリーグへの新規参入が正式に決定しました 。

チーム運営を担う株式会社ASPEが2010年9月17日に設立され 、同年11月には、チーム名が「千葉ジェッツ」に決定しました 。

このbjリーグという、当時隆盛していた独立リーグへの参入を目指してチームが設立された背景には、地域に根差したプロスポーツチームを作りたいという強い意志があったと考えられます。

bjリーグは、地域密着型を重視しており、千葉ジェッツもその理念に共感し、地域からの支持を得ながら成長していくことを目指したのではないでしょうか。

また、チーム名が公募ではなく、準備委員会によって決定されたことから、初期段階で明確なチームイメージを持っていたことが伺えます。「ジェッツ」という名称は、千葉県の空の玄関口である成田空港と、そこを飛び立つジェット機に由来し、チームのスピード感と未来への飛躍を象徴しています 。このチーム名には、地域性を意識しつつ、プロスポーツチームとしての勢いと革新性を表現しようとした意図が感じられます。

そして、2011年、千葉ジェッツはbjリーグに正式に参入 。同年10月22日には、船橋アリーナにおいて、記念すべき開幕戦が開催されました 。

チームを率いる初代ヘッドコーチにはエリック・ガードー氏が就任し 、初代キャプテンには、千葉県四街道市出身の佐藤博紀氏(現・バスケオペレーション部長)が選ばれ、開幕時のロスターには、佐藤博紀選手の他、小野龍猛選手、荒尾岳選手、宮永雄太選手、上江田勇樹選手、佐藤託矢選手などが名を連ねていました 。

初代キャプテンに地元出身の選手を起用したことは、地域との繋がりを重視する姿勢を示すものであり、地域出身の選手は、ファンにとって親近感が湧きやすく、チームへの愛着を育む上で重要な役割を果たします。

また、初期メンバーには、後にチームの中心選手となる小野龍猛選手や荒尾岳選手などが在籍しており、チームの土台がこの時期に築かれたことがわかります。初期からの主力選手の存在は、チームの継続性と成長に大きく貢献します。

黎明期 – bjリーグからNBLへ

bjリーグに参入した千葉ジェッツの初期の道のりは、決して平坦ではありませんでした。

2011-12シーズンは、18勝34敗という成績でシーズンを終えました 。

しかし、2012年2月には、島田慎二氏が社長に就任し、チームの経営再建に尽力しました 。その結果、2012-13シーズンには、26勝26敗と勝率を5割まで回復させ、ギリギリながらもプレーオフ圏内へと駒を進めました 。

しかし、カンファレンスファーストラウンドでは、東地区3位の富山グラウジーズに惜しくも敗れ、シーズンを終えました 。

初年度は苦戦したものの、2年目には勝率5割まで回復し、プレーオフに進出するなど、チームとして着実に成長していたことが伺えます。

2013年、千葉ジェッツは新たな挑戦として、NBL(日本バスケットボールリーグ)へと舞台を移しました 。

bjリーグよりもレベルの高いリーグへの挑戦は容易ではなく、NBL参戦初年度となる2013-14シーズンは、18勝36敗という成績で、イースタン・カンファレンスの6チーム中最下位に沈みました 。

NBLは、bjリーグに比べて企業チームが多く、組織力や選手層に差があった可能性があります。

しかし、チームは諦めずに戦い続け、2014-15シーズンには、34勝20敗という成績でカンファレンス5位となり、ワイルドカードでプレイオフに進出しました 。プレイオフでは、クォーターファイナルで日立東京に2連敗を喫し、シーズンを終えることとなりましたが 、着実に力をつけていたことが伺えます。

そして、2015-16シーズンは、22勝33敗で8位という成績でした 。徐々にNBLでの戦いにも慣れていき、プレーオフにも進出するなど、着実に力をつけていたことが伺えます。

B.LEAGUE時代 – 強豪チームとしての確立

2016年、日本のバスケットボール界は大きな転換期を迎え、bjリーグとNBLが統合し、新たなプロリーグ「B.LEAGUE」が開幕しました。

千葉ジェッツは、この新リーグにおいてB1リーグ東地区に所属することとなりました 。このB.LEAGUE発足を機に、チームはホームタウンを船橋市、フレンドリータウンを千葉市に決定し 、ホームアリーナを船橋アリーナに定めました 。

また、2017-18シーズンからは、チーム名を「千葉ジェッツふなばし」に変更しましたが、呼称は引き続き千葉ジェッツが用いられました 。この名称変更は、ホームタウンである船橋市との連携を強化し、地域密着型チームとしてのアイデンティティを確立するための戦略だったと考えられます。

ホームタウンを明確にすることで、地域住民のチームへの帰属意識を高め、より強力なファンベースを築こうとしたのではないでしょうか。

B.LEAGUE初年度となる2016-17シーズン、千葉ジェッツは天皇杯で悲願の初優勝を果たしました 。

これは、創設からプロチームとして活動してきたクラブが天皇杯で優勝するという、大会史上初の快挙でした 。

勢いに乗るチームは、続く2017-18シーズンにも天皇杯で連覇を達成し、B.LEAGUEファイナルにも進出しましたが、惜しくも準優勝に終わりました 。そして、2018-19シーズンには、天皇杯で前人未到の3連覇を達成し、B.LEAGUEファイナルでも再び準優勝という成績を残しました 。

天皇杯3連覇、B.LEAGUEファイナル準優勝など、B.LEAGUE発足初期から強豪チームとしての地位を確立していたことがわかります。

そして、2020-21シーズン、千葉ジェッツはついにB.LEAGUEの頂点に立ち、初優勝を成し遂げました 。これは、長年の努力が実を結んだ瞬間であり、多くのファンが歓喜に沸きました。

その後も、チームの勢いは衰えることなく、2022-23シーズンには、B.LEAGUE東地区優勝、天皇杯優勝、そしてB.LEAGUEチャンピオンシップ準優勝という輝かしい成績を収めました 。さらに、2023-24シーズンには、天皇杯で優勝、そして東アジアスーパーリーグでも見事優勝を果たしました 。B.LEAGUE初優勝を達成し、その後も天皇杯や東アジアスーパーリーグで優勝するなど、国内トップレベルの強豪チームとしての地位を不動のものにしています。

継続的な戦力強化、効果的なチーム運営、そしてファンからの熱い支持が、この成功を支えていると考えられます。特に、東アジアスーパーリーグでの優勝は、チームがアジアレベルでもトップクラスの実力を持つことを証明しました。今後、千葉ジェッツは国内だけでなく、アジアの舞台でも更なる活躍を目指していくと考えられます。

主要タイトル獲得歴

大会優勝回数優勝年度
B.LEAGUE1回2020-21
天皇杯5回2017, 2018, 2019, 2023, 2024
東アジアスーパーリーグ2回2017 (Super 8), 2023-24
B.LEAGUE 東地区優勝4回2017-18, 2018-19, 2021-22, 2022-23

この表からも、千葉ジェッツはB.LEAGUEよりも天皇杯での優勝回数が多く、安定した強さを発揮していることがわかります。また、東アジアスーパーリーグでの優勝も2回あり、国際大会でも実績を残しています。

チームを彩ったスターたち – 著名な選手と監督

千葉ジェッツの歴史を語る上で欠かせないのが、チームを彩ってきた数々の名選手たちです。その中でも特に記憶に残る選手として、富樫勇樹選手が挙げられます。

BリーグMVPを受賞し、日本代表の中心選手としても活躍する富樫選手 は、Bリーグを代表するスター選手であり、その卓越した技術とリーダーシップでチームの成績に大きく貢献しています。年俸1億円を超える日本人初のBリーガーとしても有名であり 、その存在は、チームの競技力向上だけでなく、集客やメディア露出にも大きく貢献しており、チームのブランド価値を高める上で不可欠な存在と言えるでしょう。

また、原修太選手もチームにとって欠かせない存在です。Bリーグベストファイブ、ベストディフェンダー賞を受賞するなど 、攻守にわたってチームに貢献する主力選手であり、特にディフェンス面での貢献が高いことがわかります。バランスの取れたプレースタイルと高いディフェンス力は、チームの総合力を高める上で重要な要素となっています。

さらに、クリストファー・スミス選手は、高得点力を持つフォワードとしてチームを牽引しています 。安定した得点力は、チームのオフェンス力を高め、試合を優位に進める上で不可欠です。ジョン・ムーニー選手は、強力なリバウンダーとしてチームに貢献しています 。リバウンドを制することは、セカンドチャンスの機会を増やし、相手の攻撃機会を減らすことに繋がり、試合の勝敗を左右する重要な要素です。

そして、元NBA選手の渡邊雄太選手の加入 は、チームにとって大きな戦力補強であり、そのNBAでの経験を活かしたプレーが期待されています。渡邊選手の加入は、チームの競技力向上だけでなく、国内外のバスケットボールファンからの注目度を高める効果も期待されます。

過去にも、佐藤博紀選手、小野龍猛選手、荒尾岳選手、ヒルトン・アームストロング選手など 、チームを支え、タイトル獲得に貢献した多くの名選手が在籍していました。特にヒルトン・アームストロング選手のように、インパクトのある外国人選手もチームの歴史に名を刻んでいます 。過去のスター選手の存在は、チームの伝統と歴史を形成し、ファンにとってのレジェンドとして語り継がれています。

選手だけでなく、チームを率いてきた名将たちの存在も忘れてはなりません。大野篤史ヘッドコーチは、千葉ジェッツをBリーグ初優勝に導いた名将として 、チームの歴史に大きな功績を残しました 。その指導力とリーダーシップが、チームを強豪へと押し上げたと言えるでしょう。

そして、現在のヘッドコーチを務めるのはトレヴァー・グリーソン氏です 。NBAでのアシスタントコーチ経験も持つグリーソンヘッドコーチは、豊富な経験と実績でチームを更なる高みへと導くことが期待されます 。その指導の下、チームは新たな戦術やプレースタイルを確立し、更なる進化を遂げる可能性があります。

現在 – 新たなアリーナと未来への挑戦

現在、千葉ジェッツはB.LEAGUE B1リーグ東地区に所属しています 。2024-25シーズンは、2025年3月27日時点で30勝15敗という成績で東地区3位につけており 、常にB1リーグの上位に位置し、安定した成績を残していることがわかります 。この安定した成績は、継続的な戦力維持と強化、そして高い組織力によって支えられています。

現在のチームには、渡邊雄太選手、富樫勇樹選手、原修太選手、クリストファー・スミス選手、ジョン・ムーニー選手など 、国内外で実績のあるスター選手が多数在籍しており、ヘッドコーチはトレヴァー・グリーソン氏が務めています 。

そして、2024-25シーズンからは、長年ホームとしてきた船橋アリーナから、新たに建設された「LaLa arena TOKYO-BAY」へとホームアリーナを移転しました 。この新アリーナの収容人数は約11,000人と 、2024年10月のホーム開幕節では、クラブ史上最多となる約2万人を動員しました 。新アリーナへの移転は、チームの観客動員数を大幅に増加させ、新たなファン層の開拓に繋がる可能性があります。より多くの観客を収容できる新アリーナは、チームの収益増加にも繋がり、更なるチーム強化の基盤となるでしょう。

進化するチーム – 名称、ロゴ、アリーナの変遷

千葉ジェッツは、その歴史の中でチーム名、ロゴ、そしてホームアリーナを変化させてきました。チーム名は、2011年の創設時には「千葉ジェッツ」でしたが、2017年には「千葉ジェッツふなばし」へと変更されました 。この変更は、ホームタウンである船橋市との連携を強化し、地域密着型チームとしてのアイデンティティを確立するための戦略だったと考えられます。

ロゴもまた、チームの歴史とともに進化してきました。初代ロゴは、鉄壁な守備から音速を超えるジェット機が飛び立つイメージを表現したものでした 。そして、2021年には、ChibaのCとJetsのJをモチーフにした逆三角形のデザインへと一新されました 。このリブランディングに伴い、チームカラーも「チャレンジング レッド」「ライジング プラチナ」「ビヨンド ブルー」へと変更されました 。ロゴのリブランディングは、チームのイメージを一新し、新たな時代への挑戦を示すものであったと考えられます。新しいロゴとチームカラーは、より洗練された現代的なイメージを打ち出し、若い世代を含む幅広いファン層へのアピールを強化する狙いがあったと考えられます。

ホームアリーナも変遷を辿ってきました。bjリーグ参入当初から2024年までは、主に船橋アリーナをホームとして使用してきましたが 、一部試合では千葉ポートアリーナも使用されていました 。そして、2024年からは、最新設備を備えたLaLa arena TOKYO-BAYが新たなホームアリーナとなっています 。ホームアリーナの変遷は、チームの成長とファンベースの拡大を反映しています。新アリーナへの移転は、更なる発展への期待を高めます。

地域との絆 – ファンコミュニティと地域貢献

千葉ジェッツは、熱心なファンコミュニティによって支えられています。ファンクラブ「6TH MAN CLUB」には多くの会員が所属し 、ファンコミュニティサービス「fanicon」も開設されています 。

また、公式アプリを通じて最新情報の発信やファンエンゲージメントの強化も図られています 。

千葉ジェッツは、Bリーグでもトップクラスの観客動員数を誇り 、ホームゲーム7試合連続1万人超えという記録や 、Bリーグ最速でホームゲーム通算入場者数110万人を達成するなど 、その人気は非常に高いです。千葉ジェッツは、非常に熱心で大規模なファンコミュニティに支えられていることがわかります。積極的なファンサービスや地域に根差した活動が、強力なファンベースの形成に繋がっていると考えられます。

地域社会との関わりも深く、社会貢献プロジェクト「JETS ASSIST」を展開し 、フードドライブ、ひとり親世帯への支援、ブックドライブなど、多岐にわたる活動を行っています 。また、学校や教育現場との連携や、ミニバスケットゴールの寄贈なども積極的に行っています 。

選手自身も社会貢献活動に積極的に参加しており、荒尾岳選手の「G. CREW」や原修太選手の「ハラの輪」などがその代表例です 。千葉県との連携による子どもたちのホームゲーム招待なども実施しており 、千葉ジェッツは、単に強いチームであるだけでなく、地域社会への貢献を積極的に行う模範的なプロスポーツチームであることがわかります。地域貢献活動を通じて、地域住民との信頼関係を築き、より一層の支持を得ようとする姿勢が伺えます。

未来への展望 – 更なる高みを目指して

千葉ジェッツは、未来に向けて更なる高みを目指しています。2026-27シーズンからのB.LEAGUE PREMIER(Bプレミア)への参入も決定しており 、BリーグNo. 1、そしてアジアNo. 1のクラブを目指すという大きな目標を掲げています 。

新ホームアリーナ「LaLa arena TOKYO-BAY」を最大限に活用し、地域を盛り上げることも重要な目標の一つです 。チームは、「千葉県をバスケットボール王国にする」というビジョンを掲げ 、地域に根差し、競技人口の増加、地元からのプロ輩出、そしてブースターの皆さまや競技者たちに憧れを持ってもらえるような強く魅力的なトップチームを目指しています 。

千葉ジェッツは、Bプレミアへの参入を機に、更なる成長と発展を目指しており、国内だけでなくアジアのトップクラブとなることを視野に入れていることがわかります。新アリーナを拠点とし、地域との連携を強化しながら、競技力と経営力の両面で更なる高みを目指す戦略が明確です。

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